あるぜ。うつを脱出する方法。スモールステップさ。

もういやだ…………むりだよ。

 

外なんか出られないよ……。

怖いんだもん……やだよ……。

 

 

昼間って怖いんです。

めっっっちゃ“見える”じゃないですか。

 

“よく見える”ってことは、“よく見られる”ってことなんですよね。。。ぼくのものさしで言うと。

 

うつになってから、86倍くらい、人の視線が気になるようになりました。

 

「あいつキモくね?」「うわ。ブタじゃん…」「髪型ダッサwww」「なんか、、、臭いかも」「ニートっぽくね?あのひと」「あの人って、いっつも夜のコンビニにいるよね…」「なんか犯罪しそうな顔してる」「うわーまじ陰キャー。きっもっ」

っていう陰口とか、こころの声が聞こえてきます。

 

ネガティブっていうよりか、現実的にそういう声が聞こえてきます。脳内再生されるんです。オートで。

 

ものごころついたときからそうでした。

「じぶんがひとにどう思われているか」

ということに、頭がずっと支配されているんです。

 

どこでなにをしてても、疲れちゃいます。

だから、プンバァの気持ちが痛いほどよくわかります。

(え?くさい?ごめんな…)

 

 

マーライオンがカーライオンしながらマーライオン

 

去年までは、外出のとき、かならず車の助手席にバケツをおいていました。

外に出ると、吐き気がとまらなくなって、運転中にゲロっちゃうんです。ヤバイですよね。

 

なんどか、バケツを家で洗ったまま、車に戻すのを忘れて出てしまい、運転中に口まで出てきて、「(うお!?バケツがねえ!やばい!)」という状態で、カエルみたいに、ほっぺプックーってしたあと、全部飲み込みました。サイアクの気分です。

 

で、一度上まであがってきたので、胃のポンプの方向が完全に上に向いちゃっているんですよね(笑)

だから、飲み込んだゲロゲロが、「もういっちょおおおお!!!おっりゃああああ!!!!!」って、意気揚々と舞い戻ってくるんです。

 

2回目は食道さんも「あ。さきほどのゲロゲロさんですね?どうぞー(ニコッ)」ってかんじで顔パスさせちゃうので、それはもう躊躇なく「さきほどぶりでぇええええええええええええええっすぅ!!」って、、、今度はもうとめられずに、車内でマーライオンです。

 

あとになってわかったんですが、これは、「予期不安」というものが、悪さをして起こるようです。

 

「あ―今からスーパーに向かうけど、ひとがいっぱいいるんだろうな。。。そこで知り合いに会ったらいやだなあ。ニートだってバカにされるのか。まわりの人も、太ってて汚いぼくを見て不愉快になるに違いない。冷たい目で見られるはずだ。大学のころぼくをいじめやがったジャイアンみたいなやつが、『おーい!きゃろ太! 1発なぐらせろ!』なんていって、ひょっこり現れることもありえるな…」

 

なんていう不安を、ことばにはしなくても、モヤモヤーっと考えてしまい。

それが吐き気を起こさせます。

 

「そんなんで吐くの?」

って思いますよね。

 

吐きます。よゆうで。

 

愚問ですね。

ひとの痛みが分からない人って、すぐに自分の価値観だけで考えるんです。

「相手の立場だったらつらいだろうな」「そうなってしまうほどの体験をしたんだろうな」ではなくて、「自分だったら平気なんだけどな」としか考えられないんです。

 

そんなひとには、このひと言をプレゼントしちゃいますね。

 

「おまえの話をしてるんじゃねえんだよ」(カエレ)

 

 

ガチレスすると、引きこもりはなんとかなる

カギは、“スモールステップ”と、“すりかえ”です。

 

もうすこしいうと、“できることから少しずつやろう”と、“「できない・いやだ」を、気づいたら「できる・いやじゃない」と、脳に思い込ませよう”です。

 

ぼくはこの方法で、外出がまえより楽にできるようになりました。

いまもこのやりかたを続けています。

 

これは、ぼくが通っているメンタルクリニックの先生の助言がきっかけで始まったプロジェクトなんです。

 

 

ぼくたちは、無意識のうちに、まわりの人と同じ歩幅で歩こうとしてしまいます。

 

人それぞれ、歩幅や体力、スピードが違ってあたり前なのに、みんなが同じスピードで歩かなきゃいけないと、洗脳されてしまっているんです。

 

同じ年齢の人と同じ学力でないと恥ずかしいし、学校を出たらすぐに働かなきゃいけない。

 

 

ちがいますよね。

 

人の成長の大原則は、“段階をふむこと”です。

 

 

息子が生まれたとします。

 

サッカーを教えるときに、いきなり完璧なシュートのフォームをたたき込むでしょうか。

「まずは、ボールとマブダチになってみな(キリッ)」

っていいますよね。

 

学校の勉強にいきづまったときに、すでに習ったところを復習し、一歩下がって学習しなおしたら、スッと問題が解決できた経験はありませんか。

 

人は、踏むべきステップを踏んで成長することで、揺るがない土台の上に力をおくことができます。

 

ウイング師匠なら、「付け焼き刃の必殺技もどきを見せられたら、がっかりします」とでも言うでしょう。

 

「今やれることを、1つずつ思い出してごらんなさい」、と。

 

 

あなたが6才の息子と、お風呂で「100」を数えます。

息子さんが、「イーチ!……ヒャーーークッ!!!はいおわり!(ザッバー)」とお風呂を出たら、「(は?なんだこいつ^^#)」って思いませんか。

 

「あいだをとばそうとする人」に、ちょっと「ムッ」っとすることがありませんか。

 

みんなあいだをとばさずに生きていますもんね。

 

あいだをとばしているように見える天才がいますが、彼らでさえ、とばしてはいません。

「とばしていると思えるほどに、爆速で処理している」だけです。

(と、思っていますが、どうなんでしょう。バケモノ脳のシステムには、ピンときません)

 

障害を克服するときに、あいだをとばすと、うまくいきません。

 

陸上競技の「高飛び」が、いい例です。

これは、説明する必要がありませんよね。

 

 

 

アドバイスという善意を笠に着た笑顔の全否定

ぼくが、うつでどうしようもなくって、引きこもっているときに、親や友人から「たまには外に出て、日の光を浴びるといいよ!!うつには太陽の光がいいんだって!!」と言われたものです。

 

「そんなこと知っているし、それを言われて『なあんだってえっ!?おてんとさんにそんな効果が!?オーケー外に出よう!ひっャッほおおおオゥッ!!!サイコーーーにキモチいいいぜええ!!!』なんて、すんなりといくのなら、とっくに出てるよ」

 

と、いつも思っていました。

 

 

自分があたりまえにできていることを、他人もあたりまえにできると思っている人が多すぎます。

困ったものですね。

 

 

ぼくだったら、うつ病に苦しむ友人に、このように接します。

 

「オッスオッスう。どうでござるかー?最近は。ほうほう。なるほどお。拙者ならオール在宅化して、屋外に一生でない生き方を探すでござるよー。もちろんでござる。協力できることは、なんでも言ってくだされー。それではまたー」

 

—1年後—

 

「どうもでござるー。おお。深夜のコンビニに通っておいでとな。無理はよくないでござるよー。コンビニにあるものなぞ、すべてAmazon先輩がとりそろえていてくださるので、マブダチのヤマトくんに持ってきてもらうのがいいでござるよ。ではまたー。ノシ」

 

—さらに1年後—

 

「やあやあ。どうでござるかー?なんと。昼間にドライブに。危険でござる!夜にしませう。まあ、車の中は室内と同じ扱いというのは納得するところでござるが。気をつけられよ。さらばー」

 

—さらに2年後—

 

「大丈夫でござったかー?昼間にこのような場所へ。とはいえ人っ子一人見当たりませんなあ。よき場所を見つけられたようで、安心しました。ここなら思うぞんぶんリラックスできますなあっ」

 

 

 

ぜんぜんアドバイスしてないじゃん。って?

 

そこがミソです。

 

うつの人に、アドバイスしないでください。

 

 

うつって、人に合わせたり、無理してる人がコロっとなってしまうものです。

そんな人が、うつのときに、人の指図を受け入れられると思います?

(指図のつもりじゃない!と思う方、それは、あなたがそう思っているだけです。人の心はBLなんです。攻めは、受けがあってこそです)

 

だから、「自分の意思で動けるまで、ほっておく」+「今の状況を、認めてあげる」

ここがポイントです。

 

うつの人たちは、人の歩幅に合わせてきた結果、心を壊してしまっているので、自分の歩幅で歩き出すのを、待ってあげるんです。

 

そして、今の状態をゼッタイに否定しないでやってください。

 

よく、アドバイスがいいことだと、勘違いする人がいるのですが、アドバイスって、うつの人からすると「今のままではダメ」と言われている感覚になる場合があります。

 

「こうしたら?」というのが、頭の中で「こうしていない今がよくない」と変換されてしまうんです。

 

「ああダメだ……せっかく心配して言ってくれているのに、ぼくはこんなこともできない。ダメな人間だ」

 

こうなるのがオチです。

 

 

考えてもみてください。

40度ちかい熱を出し、風邪を引いて倒れているときに、家族や友人から、「日頃から健康管理をきちっとしたほうがいいよ。帰ったら手を洗って、よく食べて、運動をして……。ほらほら、体にいいからこれ食べな。もっとたくさん!ほら!」なんて言われたら、心が折れて、悪化しますよね。

 

「まずは休ませてくれ……」って思いません?

 

同じです。

「今のままじゃダメだ!なんとか頑張らないと!」

って、自分を追い込んだ結果、うつになってしまった人に。

 

「今のままだと、変わらないよ?外に出て、日の光を浴びなよ」

なんて言うことの意味が、わからない人が多すぎるんです。

 

 

 

全全全肯定したら、歩き始めたよ

先ほどの、「ぼくならうつの人にこう接する」の例を思い出してください。

 

4年間一度も「外に出よう」なんて言ってません。

むしろ「外にでないで生きる方法を、積極的に勧めて」いますよね。

 

 

なぜ、こんな接し方をするのか、理由は2つです。

 

1つは、肯定するため。

 

認めてあげるんです。

今とこれまでと、これからを。

「今までしんどかったね、今もね。ずーっと休んだらいい。これからも」

そういう姿勢を示せば、安心するんです。

 

「あ。ぼくこれでいいんだ……」って。

 

人間って、人に認められると、より強く自分を認められます。

「褒めて育てられたら、自尊心が生まれ」

「叱られて育てられたら、羞恥心が肥える」

これは常識です。

 

自分を否定して、自虐して、自分を傷つけてしまう人たちですから。

まずは、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言ってあげましょう。

 

 

2つめは、「はーじめっのダーーーイいっぽ!!!」を、自分で踏み出してもらうため。です。

 

大学に行っている人たちが、なんで授業中に寝るのか、考えました。

 

ぼくは、はじめの第一歩を、自分の足で踏み出さなかったからだと思っています。

 

大人たちに、「大学を出ないといいところに就職できない。恥ずかしい」と洗脳され、高校3年になって焦って進路を考え、自分のやりたいことを数ヶ月で決めてしまって、なんとなく大学に入学して、授業を受けて、アレヨアレヨというまに、テストを受けさせられ、点数と順位で格付けされていくんですね。あるあるです。

 

 

もし、大学というものにたいして、「大卒自体に大きな意味はない」という社会の空気ができあがっていたら、回り道をする人が増えます。もちろん腐ってなにもしない、ぼくのようなクズもわきます(ひええっ///

 

フラフラと生きている間に、たくさん無駄なことと有意義なことをして、大学という選択をする人がでてきます。

そういう人の大学生活は、なんとなくの人よりも、ずっと意味のあるものになります。

 

 

自分の今に、責任を持って、自信を持つためには、「最初の一歩を自分で踏んだ!!!」という大前提が、必要です。

 

なんとなくはじめても、じょうずに転がして、自分のものにしちゃう天才は、ここでは触れないことにしますね。

 

 

さて、もしぼくが、うつの友人に「そろそろ将来のことを考えたら?」なんてアドバイスを、考えもなしに言ってしまったらどうなるでしょう。

 

 

「ああ、やっぱりみんなそういうんだ、今のままじゃダメなんだ、なんとかしなくちゃ、でも無理だよ!できないよ!……死にたい、死にたい、、、ううう」

こんなふうになっても、おかしくありません。

 

そうではなくて、「うんうん!家を出ないで生きる道を一緒に探そう!」と言ってあげることで、「え……?い、いいの?かな?そうなんだ。。。いいんだ、、、。ちょっと、ホッとした。なんか、そう言ってもらえるなら、自分のペースで、自分のタイミングで、できることをできるときに、、、それなら頑張れそうだな。明日は、ちょっと夜の散歩にでも、行ってみようかなあ」

 

こういうパターンが最高です。

 

「今のままでダメ」なことなんて、本人が一番身にしみているんです。

それをわざわざ口にだして諭そうとするから、「うあああああっ!」ってなるんです……(やめてあげて……)

 

ダメなことを、「いいよ」って言ってあげると、「え?いいの?え、でも。え、じゃあ、、、やめとく」ってなりません?

本人が、持っている心にゆだねるんです。

 

 

「あーっ!腹たつううううう!!!ねえ!いっぱつ腹にぶち込んでいい!??」

って彼氏に聞いて、

「うんっ!いいよ!さあ!どうぞ!」

って言われたら、

「ぅええ!?い、いいよ、、、やっぱり……そんなに、イライラしてないし……ゴメン」

「……(がばぁギュウゥ(抱きしめる))」

「なっ!?なんだよ!!!や、やめろよおっ、、、!……ゃ、ャメ、ろ……ょ…///(ぎゅ」

【このあと滅茶苦茶s(ry】

なんていう展開になるじゃないですかあ。

 

それですそれです。

 

 

まあ、逆に火がついて、

「いよっしゃあああ!ありがとう!!男だなーっ!!オマエ!気に入った!よーし歯ァ食いしばれ^^!!!!ぅおっらぁああアアアアアア!!!!!(ギュルルルルルっシャアァァ!ぶしゃあゴリゴリボギィ……!!!」

というタイプの人もいそうですが……(こわ

 

なんにせよ、自分の意思で今を生きている人って、強いですよね。心。

 

 

 

ぼくが昼行性になるまでの8ステップ

この記事をまとめる前に、ぼくが実践した、「昼に外で活動できるようになったスモールステップ」

を紹介します。

 

ざっくりと書きますね。

 

① 死んでも外にでないと心に決めた(いいか?ゼッタイにだ。ゼッタイだぞ?)。それから、夕方まで寝て、夜に活動する日々が1年続いた。

(それから少し心が楽になって、そういう自分を親も認めてくれた)

 

② ある日、お昼に湯船に入って、窓からさす日の光を浴びたら、「気持ちがいい」と感じた。家の中でなら、“嫌いだった明るさ”も、好きになれると気がついた。

 

③ それから、たまに昼の日光浴を、入浴しながらするようになった。

 

④ 昼の散歩もしたいけど、すぐには無理だから、まずは夜の外出から練習をはじめた。

 

⑤ 週に1回、2回と、夜のコンビニへ行くリハビリを続け、半年後には、昼に買い物ができるようになった。

 

⑥ 吐き気が強く残っていたけど、薬を飲みながら、少しずつ回数と時間を増やしていった。

 

⑦ ①から2年が経った頃、平日の昼間に、人がまったくいない公園を散歩した。

 

とても気分が良くなって、日差しがチリチリと顔を焦がす感触や、風が肌をなでる音、鳥の声や若葉の湿った匂い、森が揺れる声、雲の大きく運ばれる空、、、どれもが心地よく五感を刺激してくれて、ふわふわと爽やかな気分になれました。

 

⑧ それから、劇的に昼の活動ができるようになりました。

(と言っても、昼に買い物に行ったり、散歩をする程度です。人と会ったり、働いたりはまだハードル高いですう)

今でも、無理をすると、吐き気がしますし、人の目は怖いです。

薬を飲み続けないと、できないことです。

 

でも、ぼくはとても幸せです。

 

忘れていた感情を呼び起こすことができました。

 

忘れているときには、何を忘れているのかすらわかりません。

 

 

 

ぼくが、今までこのスモールステップを続けてこられたのは、家族や友人が、今のぼくを受け入れてくれるようになったからです。

「ゆっくりでいいし、ずっと休んでいてもいい」

と言ってくれたからです。

 

だからこそ、自分の足で、自分のタイミングで、“はじめの一歩”を踏み出せたんです。

 

 

 

“すりかえ”の極意

さいごに、もう1つのスーパーテクニック“すりかえ”について、触れます。

 

これは今までのストーリーで、少し語ってしまいましたが、ようするに、「苦手だと思っていたことが、いつのまにか平気になっていた、気がつけば、好きだと感じるようになっていた」

という状況を、意図的につくりだすというテクニックです。

 

たとえば、ぼくは、「人のいる場所に行くと、人目が怖くって、外にでられない」という、症状を持っています。

 

「外」=「人」=「怖い」

 

これが、長い年をかけて、脳に染み付いてしまい、反射的に、

「外」=「怖い」

とすり込まれてしまっていました。

 

で、どうしたかというと、「ぜったいに人のいない場所に出てみる」ことを、なんどもやったんです。

 

ぼくは、「外が怖い」のではなくて、「人のいる外が怖い」んです。

 

 

「人のいない外」に出るリハビリを続けた結果、いつのまにか、

「外」=「人がいない」=「怖くない」

という頭が出来上がり、

それが、

「外」=「怖くない」

に、すりかわっていったんです。

 

 

この方法を実践するようになってから、ほんとうに少しずつですが、着実に前進している実感がありました。

 

もし、うつで苦しんでいらっしゃる方が、「今の自分にならできそうだ」と思われたのなら、ほんとうに少しずつ、試してみてもいいのかもしれません。

 

ほんとうにほんとうに、無理はしないでくださいね。

 

 

 

「おめでとう^^w」「おめでとう^^」「おめでとう^^!」

ぼくは、「よかったね!」って言われるのが苦手です。

 

今まで、よかったことがないからです。

 

血ヘドを吐いて、ここまでこれたのに、「よかったね!」と言われても、スッと心になじみません。

 

「おめでとう!」も同じです。

ぼくが仮に、他人から見て、“うつを克服した”という状況になっても「おめでとう」と言われたくありません。

 

 

ぼくがここまでこれたのは、間違いなく、自分の流した涙と鍛錬の力です。

おめでたくないですし、おめでとうと言われると、結果だけを見られているように感じます。

わがままですね(笑

 

じゃあどう言えばいいのかと、、、それもわかりません。

 

でももし、みなさんがうつにあらがっていて、なんとか必死にもがいて生きているのを知ったときは、

 

「……しんどいですよね……お疲れさまです…ほんとうに」

 

とでもいうのかな、と思っています。

 

 

みなさん無理だけはなさらずに、ぼちぼちやっていきましょう。

どうもこうもあらへんって、ボヤきながら。

 

“きゃろ” でした。

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